人生において「暇」は極めて重要です。それどころか、「暇」を求めて生きているとも言えます。
なぜそういえるのかといえば、人は必ず老いるからです。
老いた先では、社会からの役割から開放され自由という名の「暇」がまっています。
それならば、人生が終盤になる前に求めているそれを味わってもよいのではないか、と私は思うのです。
ところが現代人は暇になればすぐスマートフォンを触り、SNSを開き、何かをしようと躍起になっています。
それはとてももったいないことです。
人生で最も大切な「暇」がそこにあるのに、雑多な作業でそれを消費してしまっては喜びが縮小してゆきます。
世の中には暇人をバカにする人がいます。
暇しているぐらいだったら人と繋がろう、勉強しよう、出かけよう、なるかいう方もたくさんいます。もちろんそれが自身の喜びならば大いに楽しむべきです。
しかし暇はいけない、という焦燥感でそのような行動をすれば肉体、精神が悲鳴を上げてしまいます。
「暇」がいけない、という論理はあくまでも資本主義の中にすぎません。それも経済成長期の話です。
かつては働けば働くほど収入が増える時代がありました。
個人の収入アップは国力の増強にもつながります。しかし現代は労働をしすぎると生産性が下がり、体も壊し、結果として国力も下げることになります。
なので「暇」な時間を大いに喜びましょう。そして、堂々と私は暇人である、と宣言しましょう。
そうすればあなたの周りには「暇」な人が集まってきます。集まった暇人全員で「暇」を謳歌するのも良いかもしれませんね。
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